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「悟り」は必要か?

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坂庭です。

ヨガや瞑想をしている方から
時々、「悟りを開きたいんです!」
というご相談をいただきますが。

決まって、

「悟りを開いて、どうするんですか?」

「・・・」

と、なります。

宗教法人を立ち上げて、教祖として
「特定の教義を広めること」が
目的であれば、

シャバを捨てて、どこかの宗教、
宗派に属して厳しい修行を積んで、
悟りを開き、

その後、独立して宗派を立ち上げ、
教祖なり開祖なりになる必要が
あるでしょうけど。

常にニュートラルでフラット、
穏やかでいたい、というのであれば、
悟りなんて必要ありません。

むしろ。

経済的に豊かになって、健康で
美味しい食事、買い物、オシャレを
楽しんだり、家族や恋人と旅行を
楽しみたいなら悟りを目指さない方が
いいでしょうね。

なぜなら、それらは、宗教的には
「欲」「煩悩」ですから、
全て【悪】です。

「悟りを開く」というのは、
そのようなものをすべて
投げ打ってでも教義を広める
ためにするものでしょうね。

極端な話、「悟りを開く」というのは
趣味も家族も恋人もプライベートも
すべて捨ててやるものです。

シャバを捨てて俗世間から
離れてやるものです。

「在家」という形もありますが。

単に自分1人が悟りの境地に
入ることで「穏やかになりたい」
というなら、単なる自己満足ですから。

わざわざ山にこもって厳しい修業なんて
しなくても、部屋でも公園でも
勝手にやっていればいいですよね?

「悟り」に関しては何年も何十年も
厳しい修行を積んで、中には志半ばで
命を落とす人もいます。

病気で死ねれば、まだ、マシ。

修行に失敗したら「切腹」
ですから。

大阿闍梨ですら、「一生、修行」
と言う世界ですよ。

僕には一生、ムリです(苦笑)

シャバを捨てて厳しい修行を積んで
悟りを開く目的は何ですか?

教祖になることですか?
それとも自己満足ですか?

もう一度、書きますが。

常にニュートラルでフラット、
穏やかでいたい、というのであれば、
悟りなんて必要ありませんよ。

目的がズレて病気になったり、
経済的に困窮したり、対人関係を
こじらせて悩んでいる方が本当に
多いですね。

身体的な反応においては、
かなり深刻なケースが
多いです。

カツカツの状態で熱心に
宗教活動すればするほど
悪化していきます。

借金で投資をしているような
もんです。

「宗教と投資を一緒にするな!」
と言われそうですが。

客観的に見れば、同じです。

「宗教で救われない人たち」と
いうテーマで、いずれ動画を
撮る予定ですが。

宗教で救われる人もいれば、
救われていない人もいます。

その違いはどこにあるのか?
いずれ解説する予定です。

そもそも論として。

悟りを開いたところで、
借金がチャラになるわけでも、
癌が治るわけでも、親子関係が
修復できるわけでもないですからね。

借金は踏み倒せても、
税金は踏み倒せません。

自己破産しても税金は
チャラには出来ませんから。

「税務署はヤ○ザよりタチが悪い」
といわれるのは、その理由です。

また。

借金を踏み倒し、煩わしい
人間関係からは逃れられても、
病気はついて回ります。

病気と税金だけは
逃れようがありません。

「悟り」を開いたところで、
病気は治らない、ということです。

もし、【現実逃避】で宗教に
逃げ込んでいるのだとしたら、
問題は何一つ解決しないでしょうね。

いい加減、現実から目を背けるのは
やめましょう。

現実から目を背けていると
身体的な反応として、
「視力の低下」や、まさに
「失明」というケースもあります。

ところで。

「布施をすればシャバも良くなる」と
いって、布施を促す人もいますが。

もはや、宗教ではないですな。

「宝くじを買えば億万長者になれる!」
と言ってるようなもんですから。

死んでからでは功徳は積めませんから
現世で、お布施をして功徳を
積むことは大事かもしれませんが。

それは、死んだ後(生きた後)の
話ですよね?

布施や献金、寄付などは
生きた後(死んだ後)に
永遠の命を得て、良いところ
(極楽浄土や天国)に行くため、

ないしは、魂の生まれ変わりを
果たすために、今から徳を
積むわけであって、

シャバの収入を上げたり、
借金を減らすためにやったり、
親子関係を修復したり、
病気を治すためにするものでは
ないでしょうから。

功徳は「生きた後(死んだ後)」に
永遠の命を得るためにするもの
ですよね?

「布施、寄付、献金をすれば、
借金がなくなる」

「人間関係が改善する」

「病気が治る」

なんて、教義に書いてありますか?

誤った解釈や曲解をしていませんか?

教義を歪曲していませんか?

この時点で現実とあの世を混同
している人が非常に多いようです。

「生きている間しか功徳は積めない」
のは、確かですが。

その上で、

布施(寄付・献金)
≠売上(収入)、病気、人間関係

生きた後(死んだ後)の問題

生きている現在の問題

です。

まして、

「布施をしないと、よいところに
いけない」

「退会すると地獄に落ちる」

「子孫にまで悪い影響が出る」

「教えに背くと恐ろしい死に方をする」

というのは、【脅し】です。

救いたいのか?
脅したいのか?

どっちだよ、と(苦笑)

そうやって、宗教的な問題をシャバに
持ち込むことで【あの世】と【この世】を
混同して、パニクって、脳のOSを
バグらせている人が、いかに多いことか。

熱心に信仰している人ほど、
病気の症状が重く、人間関係も
こじれていて、経済的にも
困窮しているケースが本当に多いです。

「シャバの問題」と「生きた後の問題」は
しっかり、区別した方がいいでしょうね。

簡単に言うと、【あの世】と【この世】
です。

【あの世】

生きた後(永遠の命)
⇒宗教(他力)

【この世】

生きている現在(お金・健康・人間関係)
⇒シャバ(自力)

です。

もちろん、「他力が悪い」とか
「宗教が悪い」ということではありません。

あくまでも、それは【あの世】の話、
という意味です。

死んだことないから分からんけど。
あくまでも持論です。

以上、「煩悩の塊」がシャバの
ド真ん中からお届けしました。

坂庭

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