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クリスチャンの苦悩

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坂庭です。

あなたは、次の【矛盾】に
気付けるだろうか?

1人目ここから ↓

教員です。

自分が馬鹿だという思い込みで
苦しんでいる子どもたち、
アトピーその他の病気で
苦しんでいる子どもたちを
解放してあげられたらよいと
ずっと思ってきました。

ただ、私はクリスチャンなので、
聖書つまり天地を創られた神様の
御心と反することは、どんなに
素晴らしい結果を生み出すものでも
使うことができません。

そこを見極めるために
しばらく視聴させていただきます。

↑ 1人目ここまで。

この方の場合、「子供たちを解放させたい」と
言いながら、自分が信仰から解放されていない
ということ。

2人目ここから ↓

思い込み、刷り込み、それだけで、
ホントに変わるのですね。

僕の場合は、キリスト教のプロテスタントの
信仰を30年持ち、10年前に洗礼を受けて、
そりゃもう心の病も30年以上苦しんでいます。

最近はギター賛で幻聴を抑え神様に祈り、
この祈りは大体毎日きめられたものですが、
神様から啓示された事を素直に守ってきました。

人から罵倒される事も始終あります。

でも、最近母が施設で転倒して足を
骨折しました、ホントに牧師先生にも
祈っていただき。

僕自身もよく祈り、手術も無事成功して、
施設もまた受け入れてくださるようです。
ホントに感謝です。

僕は仕事を一生懸命こなした日というのは
大抵周りの方が気を遣ってくださり、
電車の中でも静かにしてくださることが多い。

逆に祈らない日というのは、
脳に対する刷り込みが出来ていないからか、
悪循環に陥ることが多いです、

ドクターに言われたことを素直に
受け入れて守るだけで、
人生安心する事も沢山あります。
脳の働きは大事なのですね。
末筆をご容赦ください。

↑ 2人目ここまで

「祈らない日は悪循環に陥る」

それこそが「思い込み」ということに
気づいただろうか?

そして、

・心の病
・幻聴
・罵倒
・転倒
・骨折

これらは、脳からのサイン。

両者共に、1番の【矛盾】は、今、
こうして坂庭のメールや動画を見ている、
ということ。

そのことにあなたは気づいただろうか?

なぜなら。

もし、自分が救われていれば、あるいは、
他人を救えていれば、いずれの方も、
坂庭の動画やメールが必要ないはず
だからだ。

つまり、救われてない、
救えてない、という事実。

たとえば。

ある女性は、お父さんが牧師さん、
お母さんもクリスチャンという
家庭で育った。

その方から「思い込みを手放せば、
手放すほど、比例して手元のお金が増えて、
これまでにないほどのお金が入ってきてる」
というご報告をいただいている。

(不正出血や子宮筋腫といった
女性疾患も消えた)

と言っても。

その女性は決してクリスチャンを
やめたわけでも、親と絶縁したわけでも
ない。

「信仰」をやめたわけではなく、
「思い込み」をやめただけ、だ。

つまり。

献金、寄付、布施が良い・悪い、ではなく、
「どのような思考パターンでやるのか?」が、
大事、ということ。

もちろん、僕は信仰を否定している
わけではないし、むしろ、信仰心が
あることは素晴らしいと心から思っている。

キリスト教や仏教を信仰している方からも
ご相談をいただくが、当然、
一切否定していない。

その上でお伝えすると、このような
【矛盾】は、すべて脳からのサイン、
ということに是非、気づいてほしい。

なぜなら、

・寝たきり
・麻痺
・失明

など、比較的、症状が
重い方ほど、熱心に信仰
しているケースが多いからだ。

そもそも、宗教というのは、基本的に
教義を信じて教えを守っていれば、

「死んだ後に善い所に連れて行ってもらえる」

あるいは、

「最後の審判を迎えた時に復活させてもらえる」

というもの。

つまり、宗教は「シャバ」を解決するもの
ではなく、「死んだ後(あの世)」の
問題を解決するものだ。

「信じるものは救われる」
というのは、「シャバ」の話ではなく、
「死んだ後(あの世)」の話。

死んだ後に救われる、報われる
ということ。

教義に「寄付や献金(あるいは布施)を
すれば収入が増える」とか、
「病気が治る」とか「素敵な
パートナーが現れる」「子宝に恵まれる」
なんて、書いてあるか?

もし、書いてあったとしたら、
恐らく「宗教以外の何か」だろう。

少なくとも仏教の経典には
書いてないはずだ。

言い換えると、

・健康
・お金
・人間関係

などの「シャバ」は、神様や仏様が
解決してくれるものではなく、
自力で解決するもの。

シャバ ≠ 宗教

そこを履き違えて、病気や
借金、人間関係を神様や仏様に
お願いしても、残念ながら
解決はしない。

神様も仏様も「シャバは専門外」
だからだ。

宗教の本質を見誤ると、
救われるものも救われない。

救えるものも、救えない。

シャバと宗教は、本来、異なるもの。

それにも関わらず、時々、
「布施をして功徳を積めば
シャバも良くなる」といって
勧誘したり、布施を促す仏教徒がいるが。

それは、仏教の本質ではない。

「家内安全」
「合格祈願」
「商売繁盛」
「恋愛成就」

これらは、すべて「シャバ」の話。
少なくとも仏教では、ない。

キリスト教も仏教も信仰は
素晴らしいが。

「この世」と「あの世(死んだ後)」

「シャバ」と「宗教」

しっかりと区別しよう。

「シャバ」で自分を救えるのは自分だけ。

最後に。

「神も仏もあるものか!」という言葉は
決して、神様や仏様の存在を否定する言葉
ではなく、シャバを自力で解決する時に使う
言葉だ。

宗教はかなり奥が深いので、今回は
かなり端折って書きました。

ご了承を。

では。

坂庭

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