正しい絶望の乗り越え方
待たせたな。坂庭です。
あなたは、毎日、お金や体調、
人間関係で頭を抱えていませんか?
不安で夜も眠れなかったり、
誰と何をしても上の空だったり・・・。
ぼーっとして何も手につかず、
ソワソワして集中力もなく、
それで、また、ミスをしたり。
大事な要件を忘れて墓穴を掘ったり、
空回りと堂々巡りの日々を
送っていませんか?
以前もお伝えしましたが、
僕は2024年、2月から3月にかけて、
地獄を見ました。
震災とコロナと戦争がいっぺんに来た
感覚です。
「生きた心地がしない」どころか
「生き延びられる気がしない」
まさに、そんな2週間でした。
毎晩、自分の歯ぎしりの音で目を覚まし、
翌朝は自分の欠けた歯で口の中が
ジャリジャリしていました。
・単月で3000万円の広告費を損失
・少なくともこの1,2年で2億円の広告費の損失
・広告費の回収ができないまま広告の掲載がストップ
・広告の掲載がストップしたことに連動して売上が完全にストップ
・あと2週間で3000万円の支払い
・銀行がどこも1円も融資をしてくれない
・追い討ちをかけるように、半年以内に一千万単位の納税が3本
あなたなら、この絶望をどうやって
乗り越えますか?
桁が多くてイメージがわかないなら、
桁を1つ減らして、単純に「あと2週間で
300万円を現金で用意しないと自己破産」
だと思ってください。
土地、建物を差し押さえられて、
家庭も崩壊し、一家離散です。
そうならないために、この局面を
どうやって乗り越えますか?
身内で貸してくれる人はいますか?
余裕を持って3ヶ月分くらい
まとめて一千万円くらい、
支援してくれる人はいますか?
可能かどうかは別にして、
相談できる人はいますか?
僕の身内で3000万円を調達
できる人もいなければ、まして
「余裕を持って1億円どうぞ」と
ポンと貸してくれる人もいません。
それ以前にキャッシュで1億円を
持っている人の方が少ないでしょう。
それが可能かどうかは別にして、
僕には相談できる人も、すでに
ほとんどいません。
仮にいたとしても、さすがに、
「あと2週間で3000万」は無理
でしょうね。
「念の為、余裕を持って1億円」
なんて、どう考えも不可能です。
自力で乗り越えるしかない。
自分で解決策を見出すしかない。
実際に乗り越えた自分を体現しました。
どうやって?
今日はあなたにも正しい絶望の
乗り越え方をお伝えします。
状況としては、まさに、
震災とコロナと戦争がいっぺんに来た
感覚で、
「生きた心地がしない」どころか
「生き延びられる気がしない」
地獄ですよ。
それ以外に相応しい表現が
今でも見つかりません。
あなたなら、どうしますか?
正直、弱い自分から逃げるのは
いたって簡単。
言い訳をして人のせいにして
放り出せばいいだけ。
今、この瞬間にもできますよね?
「ポイ(終わり)」みたいな。
もしくは「気分転換」ですね。
あなたは「気分転換」という名の
「現実逃避」をしていませんか?
開き直ってケツをまくることは
なかなかできませんが、「気分転換」
という名の「現実逃避」をする人は
多いですね。
まったく解決しませんが。
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では、どうやって僕が絶望を
乗り越えたのか?
脳の使い方を変えたことですべて、
自力で乗り切ることができました。
僕はこれまで、どんなに絶望的な状況
であっても、酒や薬、ギャンブル、
女に逃げたことは一度もありません。
「一度も」です。
女に関しては相手がいなかった
だけですが。
ま、それはいいとして。
今ではどん底の時こそ家にも帰らず、
マンションで独り、自分と
ひたすら向き合っています。
まるで修行僧のように。
修行僧は「修行」をすることで、
「やった感」はあるでしょうが。
こっちは「やった感」ゼロです。
当然、家族の顔も見ず、ワンコにも会わない。
僕は滝に打たれたこともありますが、
寺に籠った「修行」なんて所詮
「まやかしの悟り」です。
だから僕はもう2度と「やらない」と
決めています。気休めにもなりません。
だからこそ、独りで自分とひたすら
向き合うことを選択します。
たとえ滝に打たれようが、お経を読もうが、
神仏にすがり厳しい修行を積もうが、
何の気づきも無ければ
「何もしていない」のと
同じです。
現実が答え合わせです。
千日回峰行をしようが、
血ヘドを吐こうが、
血便を出そうが、
塔婆を立てようが、
先祖供養をしようが、
何億円の布施をしようが、
気づきと変化がなければ、
「何もしていない」のと同じ。
本を読もうがマーケティングの
勉強をしようが、寝ずに働こうが、
何の気づきも無ければ
「何もしていない」のと同じ。
「やった感」はあるでしょうが。
実際は「何もしてない」のと等しい。
それから、「下手な考え休むに似たり」と
言いますが。
絶望を前に「戦略」「戦術」
という名の小手先のテクニックなんて
考えるだけ無駄です。
クソの役にも立ちません。
ゴミ以下です。
では、正しい絶望の乗り越え方とは?
ズバリ、【絶望と向き合うこと】です。
それ以外にありません。
僕が誰よりも絶望を乗り越えて
こられたのは逃げずに絶望と
向き合ってきた。
ただ、それだけです。
どんなに振り返ってみても、
それ以外にはどう考えても
思い浮かびません。
20代で死ぬことしか考えなかった時も、
43歳で借金・絶縁・寝たきりになった時も、
2024年の2月、3月に会社が一時的に
潰れそうになった時も。
逃げずに絶望と向き合ってきた。
これだけです。
仮にビジネスでもプライベートでも
会いたい人がいたら、「この山を
乗り越えてから会いに行く」と
決めています。
乗り越えてもいないのに
誰かに会っても気休め、
慰め、ともすると愚痴になるのは
自分が一番分かっています。
あるいは「魔法」や「奇跡」
「裏技」「一発逆転」を期待し、
そんなものは無いと改めて気づき、
愚かな自分に打ちのめされるだけです。
弱い自分を露呈し、さらに
惨めになるだけ。
もちろん、「弱い自分がダメだ」
という意味ではありません。
弱い自分から逃げていることが
ダメなのです。
お聞きします。
末期で余命2週間でエナジードリンク
飲みますか?
大火災に水鉄砲を使いますか?
それで解決しますか?
巷のコンサルトのアドバイスや
大阿闍梨の説法も、絶望を前にしたら、
もはや、気休めにもなりません。
世界的に有名なコーチのアドバイスや
億万長者メーカー、天才スピーカーの
ウェビナー、高額なコンテンツ
偉人の名言集、などなど、
そのようなものは
良い状態の時に耳の保養として
気休めに聞き流すものです。
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ヒーリング系の音楽のように。
もしくは「気分転換」で
たしなむものです。
「うん、うん」
「そうだよね〜」
「いい話を聞いたな〜」
「参考になるな〜」
「心が豊かになるな〜」
「勉強になるな〜」
と。
そんなことをしても実際は
何も解決していません。
弱い自分から逃げ、
痛み止めを取っ替え引っ替え
しているだけですから。
違いますか?
もちろん、テキストや本なんか
読んだって意味ないですよ。
お勉強をして新しい言葉を覚え、
知識や情報を詰め込んでも、
「気づき」は無いですから。
日本の学校教育の弊害です。
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寺子屋の時代から何1つ
日本の教育は進化していません。
知識欲を満たし、
1人で悦に浸っているだけ。
「やった感」こそあれど、
何もやっていません。
違いますか?
試験前になると部屋を片付け始め、
スッキリして喜んでいる出来の悪い
子供と同じです。
何も解決していません。
何も終わっていません。
それどころか、まだ何も
始まってすらいません。
違いますか?
そもそも、「ワクワク感」とか達成感、
充実感、満足感、幸福感を求めている時点で
完全にズレています。
それらの「〜感」というのは、
「後から感じるもの」であり、
結果論にすぎませんので、本来、
追い求めるものではありません。
その時点でズレている。
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人生に近道なんてありません。
誰かにすがったり、
言い訳をして近道をして
楽な道を選ぶことが自分を
大切にすることじゃないからね。
気分転換、ワクワク感、
ズレてますね。
いいですか?
自分を大事にする。
自分を大事にするからこそ、
ツライ時こそ、しっかりと
自分と向き合う。
自力です。自力。
自分を大事にすることと
自分を甘やかすことは違う
ということです。
誰かのせいにしたり
何かにすがったり、
現実逃避したり、
あるいは楽な道を選び、
弱い自分から目を背け、
弱い自分から逃げ回ることの方が、
よっぽど自分を大事にしていないんじゃ
ないですか?
あなたは本当の意味で
自分を大事にしていますか?
弱い自分と向き合っていますか?
『自分を大事にするために
弱い自分と向き合う。』
これが大事なのです。
もう一度、言います。
決して、弱い自分がダメなのではなく、
弱い自分から逃げ回っていることが
ダメなのです。
もし、人生に近道があるとしたら、
絶望と向き合うこと。
弱い自分から逃げずに
しっかりと向き合うこと。
それが絶望を乗り越える
唯一にして最大の秘訣だと僕は
思っています。
すがる相手もいなれけば、
相談できる相手もいなければ、
音楽で慰めることもしない。
それが、どれだけ孤独か。
あなたには想像できますか?
もちろん、良い時に気分転換
しつつ、自分と向き合い、
カフェでお茶でもしながら
深掘りをするのは良いと
思いますが。
もはや、その次元を超えて
行き詰まっているのであれば。
そろそろ、しっかり、絶望と
向き合うタイミングでは、
ないでしょうか?
「病気のまま死んでもいい」
「破産してもいい」
「絶縁したままでもいい」
というなら、僕は止めませんが。
もし、そうでないなら、
そろそろしっかり自分と
向き合いましょう。
僕も日々、そうしています。
「絶望」とは「望み」を「断つ」と
書きます。
頭を抱え、その絶望と向き合わなければ
ならない時もある、ということです。
ふわふわした耳障りのいい言葉で
あなたを慰めたところで、解決しないのは
僕が1番良く分かっています。
なぜなら、自分が通ってきた道だからです。
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別に「修行僧のようにやれ」
とまでは言いませんが。
僕は日々、自分と向き合い、
そうしているという話です。
毎日のように底に溜まった泥を
必死に掻き出しています。
その上で、綺麗な水を注ぎ続け、
溢れっぱなしにし、循環させる。
だって、それ以外にないですから。
もし、仮に、僕の命が終わる前に
最後に一言だけ、目の前にいる
大切な人に言い残せるとしたら?
「自分と向き合え」
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これに尽きます。
会う人、会う人に言っています。
娘にも息子にも、友人知人にも、
それ以外の人にも老若男女問わず、
「自分と向き合え」
と。
「自分と向き合わなければ何も解決しない」
「自分と向き合いさえすればすべて解決する」
と。
心理学でも心理技術でも、
宗教でもなく、もはや、
哲学の世界ですが。
といっても、今から「哲学を
学びましょう!」という話では
ありませんよ。
メンヘラはすぐに「お勉強」を
したがりますからね。
何でも「学べばいい」「知識を
詰め込めばいい」と思っていますからね。
調べなくていい。
学ばなくていい。
詰め込んだって意味がない。
いい加減、単に知識欲を満たし、
悦に浸り、自分から逃げ回るのは
やめろ、と言いたい。
試験前になると部屋を片付け始め、
スッキリして喜んでいる出来の悪い
子供と同じですからね。
いい加減、そういう自分を卒業
しませんか?
いかがでしたでしょうか?
『絶望を乗り越えるには
絶望と向き合うこと』
これ以外にありません。
『虫歯を治したければ、
虫歯の治療をすること』
これくらい当たり前の
ことです。
虫歯は放っておいても
よくなることはないですよね?
悪化することはあっても。
まぁ、当たり前といえば
当たり前なんですが。
でも、僕自身、この当たり前のことが
できませんでした。
そもそも、自分と向き合わずに
逃げ回っている自覚すら
ありませんでした。
言い訳をし、人のせいにし、
逃げ回っている自覚すら
ありませんでした。
だから、借金、絶縁、寝たきりに
なったわけです。
自分と向き合わない限り、
問題が根本的に解決することは
ありません。
言い換えると?
↓
自分と向き合いさえすれば、
解決しない問題はないということ
です。
だとしたら、自分と向き合いませんか?
オンラインセミナーの中でお待ちしています。
最後に。
セミナーに申し込んだ人だけご褒美です。
セミナーに申し込んだら、この先を
読んでください。
「さすがに修行僧のようにはなれない」
「せめて音楽で自分を慰めたい」
というあなたへ。
***
ひとりで駆け抜けて見せた
ありふれた地図も 知恵も持たずに
鎖に繋がれ 息途絶えても
まだ 消さずに見る 空 未来
カナリヤ鳴く空が見える
俺の部屋ただ一つの居場所で
墓掘り 野良犬 消えた街 罪隠し込んだ
***
カナリアよ、飛んでくれ↓
さらば。オンラインセミナーで逢おう。
ありがとうございました。
坂庭