死のうと思っていました
坂庭です。
正直に告白します。
僕は25〜26歳の頃、
死のうと思っていました。
これは「原因不明の持病を苦に」
ではありません。
それまで親に散々、否定され、
「お前は頭がおかしい!」
「早く大人になれ!」
と言われ続け、自分の人生に
絶望し、未来に希望を何一つ
持てなかったからです。
さらに、
「誰のおかげで飯が
食えていると思っているんだ!」
「誰のおかげで一浪して大学へ
行けたと思っているんだ!」
「1人で勝手に生まれて、
勝手に育った顔をして!」
「親孝行しろ!」
「親に感謝しろ!」
「将来は親の面倒を見ろ!」
と言われ続けてきたから、です。
以前は、親が死んだら、遺体の前で
罵ってやるつもりでいました。
「死んで、せーせーした!
誰のお陰で、こんな人生に
なったと思っているんだ!
地獄に堕ちろ!」
と。
遺影に向かってお香を
ぶちまけてやるつもりでも
いました。
本気で。
僕の親には口癖があります。
「親より先に死ぬことほど、
親不孝はない」
そこで、ある日、決めました。
「親孝行なんて誰がするか!
最大の親不孝をしてやる!
親より先に死んでやる!」
と。
最大の復讐です。
「この先、死ぬまでの何十年と、
一生、後悔すればいい。」
「『自分たちが息子を自殺に
追いやってしまった』と、
苦しみ続けて死ねばいい」
と思いました。
そんな時に資格と出会い、
会社を辞め、一発合格を
果たしました。
その時も言われました。
「この不景気に自営業で
稼げるわけがない!」
「サラリーマンに戻れ!」
「以前、お世話になった会社の社長に
土下座して、また、雇ってもらえ!」
「そんな人間に育てた覚えはない!」
「見っともない!」
「この親不孝者め!」
「恩知らずめ!」
「今すぐ出て行け!」
と。
まだ、結婚して家を出る前の話です。
家で顔を見るたびに、
毎日、言われ続けました。
そこで新たに決めたのです。
「親の遺体に向かって罵ったところで、
自分の人生が取り戻せるわけじゃない」
「復讐のために死んでもバカバカしい」
「親不孝と言われようが、
野垂れ死にしようが、
これからは自分の人生を
生きよう」と。
親の奴隷から抜け出し、
自分の人生を生き始めた
瞬間です。
僕は今、自分の人生を
生きています。
あなたは、親の人生を
生きていませんか?
誰かの人生を
生きていませんか?
そろそろ、自分の人生を
生きましょう。
誰でも今からでも
何度でも人生を
やり直せるのだから。
坂庭