自分が信じられません
「日常全般がサザエさん」という
最高の褒め言葉をいただいた坂庭です。
さて。
「自信」とは「自らを信じる」
と書く。
あなたは、自信があるだろうか?
自分で自分を信じられているだろうか?
「自信がないんです」
「自分が信じられないんです」
という人は非常に多い。
私がそうだった。
「自分を好きになる」とか
「自分を大切にする」という
感覚が分からなかった。
ただ、分かっていたのは、
「自分が嫌い」「自分を
好きになれない」という
ことだけだった。
自分を信じられず、
自分を信頼できないと、
自分を好きになれない。
自分を信じられないと、
他人を信じられない。
自分を信頼できないと、
他人を信頼できない。
自分を好きになれないと、
他人を好きになれない。
自分の人生を信じられないと、
他人の人生が信じられない。
言い換えれば、世の中、
何も信じられなかった。
***
私は生まれつき胃腸が
弱かったこともあり、昔から
背も低く、ガリガリで
ヒョロヒョロ。
自分の顔を鏡で
見るのも嫌だった。
これまで40年以上、
自分の顔を鏡でしっかりと見て、
鏡の中の自分と目を合わせたことが
なかった。
なぜなら、自分の顔が
嫌いだったから。
コンプレックスの塊。
ネガティブな自分の塊。
学校に行けば自分よりも
イケメンで、背が高くて、
同性からも異性からも
モテるヤツがたくさんいた。
羨ましかった。
背が低いと、バレーボールを
やっても、アタッカーには
なれない。
背が低くてガリガリだと、
野球でピッチャーになれない。
運動神経がズバ抜けて良くないと、
ショートにはなれない。
どんなに憧れても
「花形のエース」には
永遠になれない。
どんなに頑張っても、
どんなに努力しても、
どんなに憧れても。
「どうしてこんな顔に
産んで育てたんだ!」
「どうしてこんな体に
産んで育てたんだ!」
「世の中、不平等だ!」
「俺なんて生まれて
こなければ良かったんだ!」
「俺なんて望まれていない
存在なんだ!」
と、いつも親を恨んでいた。
親を恨み、世の中を恨み、
自分の人生を呪っていた。
私には勉強しかなかった。
試験範囲が決まっていて、
範囲を勉強すれば、満点が
取れる。
勉強に才能なんていらない。
努力さえすれば実った。
学年で1位になれば、
みんなから一目置かれて、
尊敬される。
「自分のアピールポイントは
これしかない」
「これさえあれば、俺は
誰にも負けない」
「どんなにイケメンで、
スポーツマンにも勉強なら勝てる」
「勉強でいい成績を取れば、
親に褒めてもらえる」
そう思っていた。
ところが。
進学校に行って、それも打ち砕かれた。
進学校には、県内トップクラスの
連中がウジャウジャいる。
灘、開成に入れなかったヤツや、
「通うのが面倒だから」という理由で
本庄早稲田を蹴って来たヤツもいる。
そんな中で地元の中学でトップだった
くらいじゃ、到底かなわない。
高校の目標は東大・京大や早慶上智。
それ以下を目指している生徒は
先生から相手にすらされない。
偏差値は、もはや、
金髪・茶髪・ピアスの
不良以下。
正直、「不良」にすら
なれなかった。
母親からは、中学までは
「あなたはお母さんの自慢の息子」
「あなたのおかげで、お母さん、
どこにいっても、鼻が高いわ」
「あなたは本当に親孝行でいい子ね」
と言われていた。
ところが、高校に行った途端、
「あんたは親不孝だ!」
「恥ずかしいから出ていけ!」
「これ以上、親に迷惑をかけるな!」
と言われた。
まさに、手のひらを返すように。
「勉強だけは誰にも負けない」
「勉強さえできれば」
という唯一の武器を失い、
人生の希望を失った。
16歳の春、私はこの世で
居場所を失った。
***
あなたは、パラダイムシフトが
起きる瞬間がいつだか、
知っているだろうか?
決して、表面的なプラス思考を
していれば、人生が変わるわけではない。
誰かと褒めあって、相手の長所を
言い合っている時でもない。
「憧れの人」や「メンター」が
教えてくれるわけでもない。
「思い込み」「信じ込み」「刷り込み」に
【自分】で気づいた時だ。
どんなに、他人に褒めてもらったところで、
自分で自分の魅力に気づいて、
腑に落ちなければ、単なる
気休めにすぎない。
その時は、お互いにウルウルして、
ハイタッチして、抱き合って、
泣きあっても。
2週間もすれば、また、
「いつもの自分」に
戻ってしまう。
一番ダメなのは、「憧れの存在」や
「メンター」を追いかけている状態。
これを「ワナビー」という。
Want to be(ウォント・トゥー・ビー)
略して、「ワナビー」
つまり、「自分以外の何者かに
なろうとしている状態」だ。
誰かに憧れ、自分以外の何者かに
なろうとしている。
「今の自分じゃダメだ!」
と言っているようなもの。
「憧れの存在」や「メンター」を
必死に追いかければ、追いかけるほど、
今の自分を否定し続けることになる。
「ツイてる!ツイてる!」と言えば言うほど、
「ツイていない自分」を確認しているのと
同じ状態。
結果、私みたいに、必死に「憧れの
存在」や「メンター」を追いかければ、
追いかけるほど、自分が、ますます
嫌いになる。
最後は「憧れ(理想)」と「現実(今の自分)」の
ギャップに耐えられなくなり、うつ状態に
なってしまう。
だからこそ、今、私は、「憧れも、
メンターも捨てろ」と声を大にして
言いたい。
時々、奇特な方がいて、「坂庭さん、
私のメンターになってください」とか、
「私を弟子にしてください」という方もいる。
光栄だが、すべてお断りしている。
本当の自分と繋がり、
今の自分が好きになれば、
憧れもメンターもいらなくなるからだ。
むしろ、「憧れの存在」や
「メンター」なんて作ると、
こじれる一方。
まずは、それらを止めることだ。
「今の自分こそが最高のメンター」になり、
「今の自分こそが自分史上最高傑作」になれば、
もう、「憧れの存在」や「メンター」を
必死に追いかけ、食らいつき、
ヘトヘトになる必要はない。
実際に、私自身、背の低い自分も、
ガリガリでヒョロヒョロの自分も、
今では【美しい】とすら思える。
「この体に産んで育ててくれて
本当にありがとう」と毎日、
親に感謝の気持ちが溢れて
止まらないくらいだ。
自分が好きになり、
自分を信じられるようになり、
自分を信頼できるようになった。
結果として、
人を信じられるようになり、
人を信頼できるようなり、
人が好きになった。
絶対的に自分を信じられて、
絶対的に自分の人生を信じられる。
だからこそ、絶対的に人を信じられて、
絶対的に人の人生も信じられる
ようになった。
表面的なプラス思考でもなければ、
自分に言い聞かせているわけでもない。
無理に人を信じようと思って
信じているわけでもない。
カツカツの欠乏感にも関わらず、
自己犠牲から必死に与えようと思って
与えているわけでもない。
自分を鼓舞しているわけでもなければ、
呪文やおまじない、念仏のように
無理やり、プラスの言葉を呟いて
いるわけでもない。
わざわざ、モーニングルーティンを
毎朝やって、マインドセットしている
わけでもない。
さらに。
自分が良くなるだけではなく、
その先にいる人まで良くできる。
周囲へ良い影響を与えることが
できるようになる。
これが「影響力」だ。
単に「この言葉を使え」とか、
「こう行動すればいい」とか、
「これを学んで実践すればいい」
というのは、行動レベルにすぎない。
まして、
・見るだけ
・聴くだけ
・呟くだけ
・イメージするだけ
・塗るだけ
・飲むだけ
・身につけるだけ
という、他力本願や、
・一発逆転
・奇跡(ミラクル)
・一足跳びで
というのは論外。
大事なのは脳レベルでの改善だ。
脳の使い方を根底から変え、
「思い込み」「信じ込み」「刷り込み」に
気づき、根こそぎ手放し、
ネガティブな自分を許し、
受け入れた時。
本当の意味で、あなたは
自分を好きになり、自分を
信じられるようになり、
自分を絶対的に信頼できるようになり、
自分の人生を絶対的に信頼できるようになる。
過去も現在も、未来も。
そして、その時、本当の意味で、
あなたは人を好きになり、
人を信じられるようになり、
人を絶対的に信頼できるようになり、
人の人生を絶対的に信頼できるようになる。
それだけではなく。
人の人生を心から応援し、
サポートできるようになる。
自分の人生をより良く
するだけではなく、目の前の人の
人生もより良いものに出来るようになる。
「自分が良くなるだけでなく、
その先にいる人も良くする」
つまり、世の中に価値をもたらし、
より良い変化を与える人になる。
女性の場合、まさに、
「男を虜にする極上のアゲ女」
と言えるだろう。
最近、このようなメールを
毎日、たくさんいただいている。
「坂庭さん、『男を虜にする
極上のアゲ女』これこそ、私の
人生のテーマです!」
「20代から、どうしたらアゲ女に
なれるか、そればかり考えてきました!」
「私もアゲ女になりたい、いえ、なります!」
「地方に住んでいるので、オンラインでも
可能であれば、是非、参加させてください!」
というメールを本当に毎日、
たくさんいただいている。
いずれ、ワークショップなどの
準備が整ったらご案内するので、
楽しみにしてほしい。
まずは、脳の使い方を土台から変えて、
自分との信頼関係を取り戻し、
自分を信じ、自分を好きになるところから
始めよう。
では。
By アゲ男・トミー